誰にでも起こりうること。
Sさんの知覚領域は全てワラ、すなわち偽物でできている。しかし、そのワラの中心にいるはずのSさんは、いない。Sさん自信により消去されているのだ。自分の対象となる、鏡となる他者が消去されてしまったとき、それと同時に自己も消去されてしまう。このことは、自己とは何かという問題を突きつける。そのようなSさんの世界に渡辺医師は溶け込もうとし、治療しようとする。この本の解説でランディさんは警鐘を鳴らす。現在のこの情報の氾濫、コンピュータを等してのみのコミュニケーション、情報の交換取得、それらはすなわち、ワラなのではないかと。実体験の伴わないワラが増殖しているのではないかと。
「ワラ地球」のカフカの世界を分析できるか
田口ランディさんが文庫版の解説をしていたり、小説中に触れられているということで、この本に出会いました。著者・渡辺氏の患者である女性、Sさんの症例を通して、まことに不可解な「没落した世界」の有り様を探っていきます。Sさんにとっては自分の世界は「ワラ地球」で、主治医の渡辺さんも「ワラ人間」。そして本当の(?)世界である「オトチ」と、その手がかりたる「オタカラ」を求めて今日も「トグロ巻き」をします。 Sさん本人も、その治癒を目指す渡辺さんも、そして本書を読む私も、まるでカフカの世界です。 実際の話ですから、劇的な結論を期待してはいけないのですが、最初の章から思わず引き込まれ、夢中で読み進めてしまいました。 ただ、文体が「精神医が論文」なので、読みやすいとは言えません。やたら注があるけど注を見ても疑問が解けるわけでもなし。 それと価格が高いのが難点。でも、貴重な著書を、多くの人の努力で文庫化したのでしょうね。そのことに感謝したいと思います。
知的好奇心を煽るドラマのような面白さ
本書では、ある精神分裂病患者との対話を通じて、精神分裂病という言葉の定義について考えていくものである。その中で、精神科医の著者は患者が発する「オトチ」や「ワラ」について考え、自分なりに解釈していく。その過程が、まるでドラマのようで、読んでいる私を惹きつける。 著者は患者をある対象として、「外部から」診断するのではなく、患者の世界に自分から飛び込み対話する手法をとっている。そのため、読者である私にとっても、精神分裂病が少しではあるが、実感できるものになった。私自身は精神科医でもなんでもない一大学生ではあるが、著者と同様に精神分裂病という言葉に惹かれてしまった。
精神科医の仕事がイメージできる
著者の真摯な態度には感動してしまう。 私が精神分裂病を患ったなら、 彼のような医師に診て欲しいと思う。
妄想という名のワンダーランド
「知覚できないものは存在しない」と言う人がいる。それがSという患者にとっては「知覚できるものは存在しない・偽物だ」となるらしい(本物は知覚できない場所にあると信じている。何だかプラトンのイデア説を思い出す)。知覚できる世界は偽物なので、そこに登場する他人も偽者であり、他人がいないので他人の目による「私」も存在しない。そんな偽物だらけの世界の中で、著者は治療者の禁を冒してS氏に触れ、S氏にとっての「真の他人」となろうとする。S氏の世界を理解する冒頭から最後の「著者が真の他人になりかけたところ」まで、解説者田口ランディ氏が語るように「まるでミステリ小説のように」息を潜めて読み進んでしまった。 S氏の病の根源は「見えるものが偽物に思える」という部分にあると思!う。今の時代「他人の目に映る自分が嫌いでひきこもって他人を排除する人」は少なくない。S氏もまた、病によってそうした排除の願望を達したのだろうか。 とにかくおもしろいので、ほんとうならば星5つ。マイナス1つは、文庫本なのにこの価格は高すぎる、という、内容には関係ない部分で。
筑摩書房
二〇世紀精神病理学史―病者の光学で見る二〇世紀思想史の一局面 (ちくま学芸文庫) フェルデンクライス・メソッドWALKING―簡単な動きをとおした神経回路のチューニング “わたし”という危機 (問いの再生) 異常の構造 (講談社現代新書 331) パイドロス (岩波文庫)
|